心の痛みと胸の痛み
「胸が痛いんです」と言われたら、あなたはその言葉の意味をどう理解しますか?
普段の会話の中で出てきた言葉であれば、それはきっと心の痛みを表しているのではないかと思うのではないでしょうか。
日本語の中には、不思議なことに、体の言葉を使った感情表現が多くあります。
感情を感じているときに、人は体の感覚を頼りに自分の感情を理解します。
悲しいとき、自分の中にどんな体の感覚が生じているのかイメージしてみてください。
イメージできる人もいれば、イメージできない人もいると思います。
悲しみを自覚できる人とそうでない人には違いがあるのです。
つまり、悲しいときに自分が悲しいと自覚できる人とそうでない人が存在しています。
心を知るために身体性は大切
「身体性」をここでは身体感覚、身体イメージとしておくことにします。
身体感覚とは、熱い、冷たい、寒い、温かい、痛い、くすぐったいなど、主に触覚からの刺激を受け取るときの感覚や、ストレッチをしたり、筋トレをしたり、スポーツをしたり、姿勢を正したりといった運動と動作の際の体の感覚のことです。
身体イメージとは、自分の体がどんなものなのかを頭の中に思い描いたものです。
身体性の感覚が備わっていなければ、自分の感情や気持ちに気づくことが難しくなります。
喜怒哀楽の感情が生じているときの体の感覚がそれぞれどんなものなのかを知ること、そしてそれに言葉を当てはめることで初めて、自分の感情を語ることができるのです。
多くの人はこのプロセスを無意識に瞬時に行っています。
そのために、その差が把握されにくいのです。
「頭が痛い」「耳が痛い」
「胸が痛い」だけでなく、他にも興味深い表現があります。
「頭が痛い」といえば、トラブルで悩んでいる感じですね。
「耳が痛い」といえば、聞きたくないことを聞かされた時の感覚です。
全て、身体の痛みで表現されているところが、面白く感じます。
痛みがあるときというのは、非常事態で危機がある状況です。
自分の存続が危ぶまれている状況ともいえそうです。
体の声に耳をかたむけて
身体性を大切にする姿勢は、心の理解につながるものです。
心と体を隔絶された別個のものとしてとらえることは、心の理解に限界をもたらすのではないかと思います。
特に、感情の理解やコントロールにおいては、身体性を軽視することはできないと考えています。
心と体はそれほどにリンクしていると私は考えています。
